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待ちに待っていた一本を遂に観る。
上映期間は一週間、夕方と夜2回の枠。豪雪で映画の日でも客は5人。イタリア映画に県民はは厳しい。しかし映画は凄く面白かった。昔からイタリアのダミアーノ・ダミアーニのマフィア映画を観ている身には感無量だ。あの世界にカメラを持ち込んで撮影したかのような凄まじい臨場感。
スクリーン・サイズはシネマスコープだが、空間を利用して、人間の間の距離感を描いた「サンザシの樹の下で」とはまた違う。似てるとすればジョン・セイルズの「希望の街」のロバート・リチャードソンの撮影だ。あれも一つの街を舞台にしていた。この世界で起きている事を見逃すまいといった目いっぱいの映像と言う感じだ。
映画は初めから終わりまで階層を描く。自分の上にいる人間の顔も名前も知る事も出来ない最下層。そこから上がりをとって、上納金という形で搾取される中間層。そして、権力を握っているようで、実は資本主義のシステムの中の部品に過ぎない上層部。このスクラムに終始する。
強烈な烈な無常観。悪はマフィアにとどまらない。コスト削減を掲げる「新自由主義の聖戦貫徹」の果てがこの世界だ。観ていればわかるが、毒は世界に回っている。テレビの向こうのハリウッド女優も中国の労働者もその中にいるのだから。。
この映画の全てを総括しているのはト二・セルヴィッロ演じるフランコ(凄い貫録で映画全体を圧している)が部下と決別するシーンである。増村の「黒の試走車」を思い出した。部下はもうついていけないというが、フランコは説得するも叶わず罵声を浴びせる。お前が言うまでもなく、此処どころか世界がとっくに地獄なのだ。どこに行こうっていうんだ。
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そういう図式は他にも登場する。
廃棄物が漏れ、車から運転手が逃げてしまうと、今度は奥の手で事を治めるところがリアルを通り越してシュールの域に達してしまうのが、また凄い。ここでも若い世代の反逆など権力者には利用されるものでしかない。反・権力は非・権力ではない事を権力者は一番よく知っている。分派して主流派に立ち向かうも、散々にやられ、復讐しようとするが、誰がリーダーかも知らない彼らは裏切り者として(そんなことすら頭に浮かばない)女を殺害する。むろん無意味な事だが、権力に逆らっているつもりで、実は権力の手先になってしまう。
搾取される側は「スカーフェイス」を見て「俺もあんなになってやる!」と叫び、銃をぶっ放すが、アル・パチーノ演じるトニー・モンタナががカッコよかった(事実だが)所だけに目が行ってしまい、荒っぽそうに見えて、実は細心の注意を払って権力者に近づき、相手に取って代わってゆくかまでを映画から学んでいない。「教訓を学ぶ」と言って、実は一方的な部分だけ学んでいる事がどれだけ多いことか。
対して老練な権力者は大した事が無いチンピラを殺す事にすら、周到に準備して、相手が逃れようのない状況に追い込んで息の根を止める。かたやチンピラは手下になりたくないと言いながら、大して変わらぬ状況に追い込まれ、名を売るどころか元も子もなくなってしまう。自分が何者か理解できない人間が、誰が敵かもわからない人間には「とってかわることすらできない」のだ。
ラストの不気味な音楽が実に効果的。エンニョ・モリコーネの「遊星からの物体X」を思わせる重く、単調なようで、鼓動のような響き。それ自体聞いても楽しくはないだろうが、この映画を締めくくるにはぴったりだ。2時間半弱、あっという間に過ぎ去る超重量級伊太利亜暗黒映画。
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